医の原点・救急医療に最先端の医学が挑む救命救急新時代のはじまり
救命救急といえば、近年、テレビのドキュメンタリーやドラマで一躍注目を浴びる領域であり、文字通り、一秒一刻を争う生死の闘いの現場である。
わが国における救急出場件数(救急車および救急ヘリコプター)は1年間におよそ503万件(2004年・消防庁)、1日平均1万3,741件、6.3秒に1件の割合にも上る。聖マリアンナ医科大学病院(以下SMUH)、救命救急センターの、救急車受け入れは年間6,500件にのぼる。1次から3次までをあわせると、年間35,000人の患者が救急外来へ来院する。
救急医療とくに救命救急センターの2大要素とは、(1)すべての救急患者を受け入れる救急外来=ER体制(北米型のemergency medicineに相当する)である。そこでは初期診療の充実が求められ、また継続した根本治療へ移行するための各科専門医との緊密な連携が必要とされる。(2)重症患者の治療を行う、集中治療医学である。この場が救命センター内の病棟(30床)である。
取材のこの日も、SMUH救命救急センターでは、“PHS持ち”と呼ばれる担当救急医のPHSに救急車や関連病院から、救急患者の受け入れを求める電話がひっきりなしに入ってくる。いまも80歳代の女性が搬送されてきた。歩行困難、下肢脱力の症状が見られ、心配した家族が救急車を呼んだという。救急車からER(救急外来)のベットに移され、名前の確認から問診が始まり、その間速やかに体温、血圧の測定、点滴が行われていく。次いで全身の神経学的所見をとるとともに、心電図、心臓のエコーをはじめ次々と検査が進められていく。
救急外来は、患者に見られる症状のうち、頻度の高いもの緊急度の高いもの、そして付随するあらゆる症状を、それぞれの症状が示唆する疾患を推測しながら、診断をすすめていく。そのためにはどんな検査が必要で、それをどの順に行っていくかを判断し、診断に結びつけるのである。あたかもジグソーパズルを完成させていくかのように、目の前の患者の訴え、臨床所見の一つひとつをピースにみたて、系統的に組み立てて診断にたどり着く。こうして診断を下し初期治療を行った後は、それぞれの疾患の専門医に引き継ぐのが救急救命の現場である。
救急外来の現場では外因性疾患4に対して内因性疾患6の割合で、近年内科疾患が増えている。このうち全体の8割は治療を受けてその日のうちに帰宅する。2割が入院し、うち数パーセントが緊急の生死のはざ間にいる。救急医の仕事は、この数パーセントの緊急度と重症度を見逃さないことにあるといっても過言ではない。
つまり、救急医は、あらゆる疾患の症状と所見に対して精通していることが求められる。しかも、緊急度、重症度の判断を要するとともに、病態も複数の分野にまたがるものである。文字通り、生死を左右する診断および治療である。初療後、ICUならびにHCUでの最先端の集中治療を実施し、経過をみて一般病棟へ引き継ぐ。ICUならびにHCUに収容するのは以下の疾患の患者である。すなわち、各種ショック、セプシスなどの重症な感染症、外傷(特に多発外傷)、熱傷、(急性)薬物中毒、複数科にまたがる重症病態などで、これらは救命救急特有の領域に属するものである。
SMUH救命救急センター副所長という肩書きに加え、聖マリアンナ医科大学(以下SMU)准教授でもある平は、現在3つのテーマで研究に取り組んでいる。
その1つが“末梢組織酸素代謝”の研究である。乱暴な言い方を許していただければ、人間の身体は、血液によって十分な酸素が末梢組織、細胞へ運ばれて、そこでエネルギーを産生・消費して生存を維持している。そのため、肺での酸素取り込みが少なかったり、多量の出血のため運搬される酸素が少ない場合、そして酸素は末梢へ運ばれるものの、組織・細胞レベルでその利用が障害されたりすると、末梢組織・細胞において、容易に酸素不足が生じる。そして組織・細胞はダメージを受け、破壊されて身体全体の機能不全へと進行する。
もし初期の段階でその障害やトラブルが察知できれば、それだけ早く治療を開始してダメージを小さく抑えることができる。
従来いろいろな身体臓器のダメージの総合的な指標として血液中の種々の物質を測定して病気の理解や重症度の判定などを行ってきた。平が行っている、マイクロダイアリーシス(生体組織間質液回収法)とは、直接的に末梢組織の中の体液を回収して末梢組織内での代謝の状態を知るという方法である。これにより血圧、脈拍などに異常が起きる前に、組織内での代謝の異常を察知することができるわけである。
現在、ICU入院中の重症患者の集中治療に適応し、臨床応用を行っている。
第2は、“急性肺損傷、(ALI/ARDS)における、肺経由動脈熱希釈法を用いた肺血管外水分量の測定”である。救急外来から緊急に、かつ重症なためICUへ入院する患者は急性肺損傷を引き起こす可能性が高い。急性肺損傷とは、肺の血管内にあるはずの体液が肺血管の外、すなわち間質や肺胞へ漏れ出して、肺水腫という状態を引き起こすことである。そのため肺でのガス交換が不良となり、酸素取り込み不足や二酸化炭素の貯留がおこる状態である。
従来、肺水腫を早くから診断するための方法として、胸部レントゲン写真、肺動脈カテーテルなどが使われてきた。これに代わって、肺経由動脈熱希釈法という方法を用いて、より早くから肺水腫に進行する可能性を判断し、早期からの治療を目指そうというものである。この方法の臨床応用はすでに行われており、早期の診断、予測、そして治療においておおいに役立っている。
3番目に“人工酸素運搬体の臨床応用を目指した実験”がある。この人工酸素運搬体を製造、提供する企業と現在は、基礎的、実験的な面で共同研究を行い、将来臨床応用を目指すという計画である。
出血例などの体液減少症例、貧血例に対して輸血に優るものはない。しかし一方、保存血の問題点は、長期保存が出来ない、保存方法に厳密な管理が必要、血液型適合性、感染症の発生など種々の問題がある。これに対して、人工酸素運搬体とは古い血液から酸素運搬体であるヘモグロビンを抽出し、これに特殊な加工を付して酸素結合や運搬能を維持したものであり、酸素運搬に焦点をしぼった人工物である。特徴として、常温での長期保存が可能、血液型に左右されず、感染症発生の心配がない、などの利点があげられ、大災害時、戦地での臨床応用、救急現場での適応など、非常に有望視される人工物である。近く臨床応用を目指して、実験研究を急いでいるところである。
1980年にSMU医学部を卒業した平は、当時の第3外科でスタートを切った。専門は肺外科である。96年から2年間はアイルランド・タブリン小児病院にシニアリサーチフェローとして留学。小児外科の権威Prof.PremPuri教授のもとでCDH(先天性横隔膜ヘルニア)の研究に没頭する。留学中の研究はアメリカの学会で評価を受けた。研究成果もさることながら、ダブリンの生活では、Puri教授から学問をするという事、研究をすすめていく過程や方法論を教えられた事が平にとって大きな収穫だったという。
「金曜日の夕方になると『ヒコ、週末はどうしているんだい?私は研究室にいるからな』と声がかかります。教授の部屋で机をはさんで何時間もディスカッションしました。時には熱くなったりして(笑)。研究をすすめるうえでも、学生を指導するうえでも、非常に示唆を受けました。私の研修室のレイアウトは、Puri教授の部屋を真似しているんですよ。若いドクターや学生といつでも気軽にディスカッションできるようにね」
SMUに戻って2年を経た平は救急医学へと転じた。救急の患者は、前述のようにどのような疾病からも肺障害を誘発する危険性が高い。救急医学教室からは肺外科専門医を求められた。一方、平自身にも新しい分野に挑戦したい気持ちもあった。すでに小児外科という世界にも足を踏み入れ、未知の領域に挑戦する醍醐味は経験済みだった。双方の合致があり実現した転身だった。
救急医学に転じた平は新しい研究テーマに出会う。前述の3つの研究である。実は、平には肺外科時代に担当した忘れられない患者がいる。その患者は肺がんで片肺を切除した後、持病の糖尿病が急変し、その治療のために投与した輸液から肺障害を併発して6時間後に亡くなったのである。肺がん切除手術自体は成功していたにもかかわらずである。肺障害は、それほど急激に進行し、しかも命にかかわるものであるため、一刻も早く変化を察知することが救命に直結するのである。
肺の専門家としてスタートした平だからこそ、肺疾患への思いはことさら強い。肺経由動脈熱希釈法も、マイクロダイアリーシスもいかに初期段階で患者の病態の変化をキャッチし、治療へと結びつけるかを追求した結果導き出された研究なのである。
かつて日本の救命救急は、各領域の専門医が集まってチームをつくってきた。しかし、今日は最初から救急医としてのエキスパートを養成する方向に転換しつつある。これは救命救急のあり方そのものの転換に由来するものである。
専門医の集まりでチームがつくられた時代の救命救急は3次救急(複数の診療科領域にまたがる重篤な救急患者に対する高度医療)を対象としてきたが、最近は北米型ERへとシフトしており、1次救急(入院を必要としない外来の処置)、2次救急(入院治療を必要とする診療)も含めた救急医療全般への要請に応えている。なぜなら、“救急”の感じ方は人それぞれであり、患者が“救急”と思ったら、それに応えるのが医療者であるからだ。また、より現実的な問題としては、3次救急に特化した場合、搬送者の判断で病院が選別され、十分な体制が整っていない病院に重症患者を搬送してしまうといった危険が生じるためでもある。
今日の救急医学に求められるもの、それは、診断学と緊急度・重症度に応じた初期治療である。あらゆる症状の患者がそれぞれの訴えをもって集まる救命救急の現場にあって、救急医療の基本は患者の選別(トリアージ)と初期治療にある。トリアージとは、傷病者を重症度や緊急性によって分別することである。初期治療と診断では、例えば、胸痛を訴える患者に対して、絶対に見逃してはいけない疾患は、急性心筋梗塞、急性大動脈解離、肺動脈血栓、塞栓症などの生命に直結する疾患である。頭痛、腹痛などそれぞれに絶対見逃してはならない疾患がある。診断をつけ、初療で患者を落ち着かせた後は、専門医に引継ぎをする。この診断こそが救急医の仕事である。
「救急医療は“医”の原点である」1997年、救急医療体制基本問題検討会が発表したテーゼである。また、“救急医療は、傷病者の発生した現場から、時間的、空間的にも開始されるべきである”と考え、これを実践すべく努力している。
平は言う。「道で心臓発作を起こして倒れた人がいたら、病院に運ぶまでもなく、まずその場で1分でも早く心拍を回復させなければなりません。それが、救急医療の原点であり、ひいては医療の原点なのです」。救急医療は、診断や治療において時間的要素が最優先される新しい医学分野であるといってもいいだろう。
平の胸に救急の明日を担うチャレンジングスピリットが息づいているのが垣間見えた。
(文中敬称略)