結局、実際のところは個人差だと思います。やる気がなければ仕方ない。
できれば2~3年外国で暮らしてみたい。そんな気持ちは、誰もが一度は味わう、ありふれた感情なのかもしれない。
「そういう不純な動機も、若干ありましたよ(笑)」
矢島は、カリフォルニア大学サンフランシスコ校に1年間留学。'93年秋に帰国し、大学病院に復帰した。専門は、陰茎海綿体の自律神経受容体に関する研究。ひらたく言えば勃起のメカニズムについて、である。
「その分野の世界的な第一人者がアメリカにいまして。手紙を書いたり、学会の時に会ったりしてコンタクトを取りました」
すべて自分で交渉し、留学にこぎつけた。商社マンなどと違い、前任者はいない。研究も生活も、すべて1からのスタートだ。
「何から何まで自分でやらなきゃいけない。住まいを探したり、銀行の口座を開いたり、運転免許を取ったり。もう大変だったけど、面白かったね。ワクワクするようなこと、日本では大人になると、あまりないでしょう。時にはトラブルもあったけど(笑)」
日本では、患者の検査~手術~治療~社会復帰と、一貫してみるシステムがとられている。
「僕はアメリカでは臨床をやらなかったから、直接患者さんには接していないけど、外来や手術は見学しました。システムの違いには驚きましたね」
例えば助かる見込みのない患者の場合、最期は自宅かホスピスで迎えることが多い。大学病院は手術のプロだから、その他のことには関知しないという考え方だ。
「とにかく手術をこなします。その代わり、在宅ケアなどは発達していますよ。それぞれがプロに徹してる。いい悪いは別として、とにかく合理的。大げさに言えば、日本とは医療のシステムそのものが違うと感じました」
留学をどう見るか。これは結局本人次第だと語る矢島。仮に大学が制度を作ったところで、個人のやる気がなければ空振りに終わる。
「人数は科によって違うから、全体的にどうとは言えないけど」
国際社会。情報化社会。だがどんな情報も、実際の経験の前には色あせて見える。矢島の、自然体で楽しもうという姿勢には、ある種の潔さが感じられた。
―もう一度、行ってみたいですか?
「悪くないね。今度はもっと、要領よく準備できそうだし(笑)」

休日には、小旅行も楽しんだ。
日本の進んだ放射線科で、読影を勉強してブラジルに帰りたい。


ドイツの物理学者W.C.レントゲンがX線を発見して105年。この間、体の内側を画像としてとらえる技術は飛躍的に向上し、現代の高度医療に画像診断は欠かせない存在となっている。放射線科医は、X線写真、超音波、CT,MRIなどの画像から患者の病気を読み取り、診断する職人的な仕事を担う。患者から見えない部分で医療を支える、縁の下の力持ち的な存在だ。
呉兄弟は、兄の孟需が’72年に、弟の孟峯が’73年に台湾で生まれた。その後’82年に家族でブラジルへ移住。2人ともサンパウロのABC大学医学部を卒業し、日本の放射線科で各種画像の読影技術を学ぶために’98年に揃って来日。東北大学で内視鏡について1年間学んだ後、聖マリアンナへと移った。
―なぜ欧米ではなく、日本に?
孟儒「日本はこの分野の技術がとても進んでいます。それにアメリカに比べて検査も多い」
アメリカには日本の国民健康保険のような制度はなく、民間の保険会社に個人で任意加入する。保険会社はコスト削減のため必要最低限の検査しか認めない傾向がある。保険制度が医療の流れに影響を及ぼす典型例だ。ブラジルもアメリカとほぼ同じ保険制度のため、検査の件数が少ないのだとか。
―聖マリアンナを選んだ理由は?
孟峯「ここの放射線科は有名です。機械も新しい、検査も多い。東北大学とABC大学で、聖マリアンナがいいと言われました」
―来日して驚いたことは?
孟儒「旅行で2回来たので、カルチャーショックは別に…」
孟峯「私達食事は何でも食べるから、困らない。世界のどこにいても多分同じですよ」
―帰国後はどうしますか?
孟儒「ブラジルで放射線科のドクターとして働きたい」
孟峯「私も同じです。学生の時から放射線科に興味があった」
孟儒「ブラジルでは、放射線科専門のドクターは少ない。外科医が画像を読んで診断することが多いです。技術も日本から5年くらい遅れている。機械の遅れは多分2~3年。でもこれからは絶対、放射線科のドクターが必要になると思います」
インタビュー中、2人は実に淡々と質問に答えていた。自分達がブラジルの医療を!というがむしゃらな気負いはまったく感じられない。だが、4つの瞳は、ブラジルの医療、その未来をしっかり見据えている。そこに無駄な熱さはない。21世紀の医療を支えるのは、こういうクールな情熱家達ではないだろうか。
(文中敬称略)