生理学

教室の歴史

 第一生理学教室は、昭和48年に冨田恒男が慶応義塾大学教授から東洋医科大学(現聖マリアンナ医科大学)初代教授として赴任したのがはじまりです。冨田は当初から米国Yale大学教授と兼任であったため、Yale大学での研究に専念することになり、昭和50年に豊田順一が第2代教授として教室を引き継ぎました。冨田と豊田は感覚生理学の世界的権威として知られているだけでなく、学生教育を重視する当教室の伝統を確立しました。平成9年には明間立雄が教授になり、平成12年豊田が定年退職して名誉教授となった後を明間が第3代教授(講座代表)、平成28年からは舩橋ー幸田体制としてとして引き継いでいます。
第二生理学教室は昭和47年に五十島長太郎が初代教授として東京慈恵会医科大学より着任し、昭和63年に第2代教授の吉岡利忠(現弘前学院大学学長・本学客員教授)へと受け継がれました。吉岡は運動生理学の研究を大いに発展させ、その伝統は現在に続いています。平成11年に第一と第二の各生理学教室が一つに統合され、平成15年には物理学教室と統合されて生理学教室が生理分野と物理分野の2分野体制になりました。さらに平成22年度には生理分野が統合生理分野と細胞・器官分野の2分野になって教育・研究体制の充実が図られ、舩橋利也が横浜市立大学から細胞・器官生理分野教授として着任、平成28年4月からは慶応大学から幸田和久が統合生理学の教授として着任して現在に至っています。