聖マリアンナ医科大学大学院 医学研究科 応用分子腫瘍学 Department of Translational Oncology 臨床と基礎研究の架け橋:乳がんを中心に、がんの臨床に還元できる研究をテーマに取り組んでいます。

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乳がん特効薬の実現へ向けて

全ての乳がんに効く夢の特効薬はありません。理論的に今後もそのような薬は期待できません。それは乳がんが多彩な遺伝子異常を背景に持ち、異なった生物学的特性を有する病態の集まりだからです。

そこで、この生物学的な特徴を見極めて、薬の効果を予測し、それぞれの乳癌にあった最適な治療を行うことが大切になります。たとえば、従来の臨床試験で10%の乳癌にしか効果がなく、乳癌には効かないと考えられていた薬であってもその10%の乳癌を適格に予想できれば治療効果は100%になり、すなわち夢の抗癌剤が実現するわけです。

この様な観点から効果予測因子の開発は新薬の開発と両輪をなすべき重要なテーマとして進められてきました。近年、この効果予測のための研究に大きな貢献をはたしているのがcDNAマイクロアレイによる発現遺伝子の網羅的解析です。

人が100人いれば100人異なる個性があるのと同様に、乳がんも100個あれば100個異なる個性を持っています。cDNAマイクロアレイは一度に数千から2万個ほどの遺伝子の発現を解析し、がんの個性を診断する方法です。

最終的にはこの方法を用いて100個の乳がんに、それぞれ異なった治療が施されるのが最良の方法かも知れませんが、遺伝子発現の組み合わせは無数で、その全てに対応するような治療選択の方法がまだわかっていないこと、また、 cDNAマイクロアレイのコストや技術的な問題から、そこまで行くのにはかなりの時間を要するかも知れません。

しかし、これらの研究の成果の一部は既に臨床に大きく貢献しています。その1つがPerou, Sorlieらによって提唱されたIntrinsic Subtype分類です(Perou CM, et al. Nature 406:747-52, 2000. Sorlie T, et al. PNAS. 100:8418-23, 2003)。Intrinsic Subtype分類では乳がんを生物学的特性の異なった5つのタイプ、Luminal A, Luminal B, HER2(ErbB2), Basal-like, Normal breast-likeに分類しています。

のようにこの分類は従来の免疫染色法でもある程度代用可能です。Luminal Aは女性ホルモン(エストロゲン、プロゲステロン)受容体が陽性でHER2が陰性。Luminal Bはいずれも陽性、HER2型はHER2のみが陽性です。Basal-like型は全て陰性で、従来トリプルネガティブとよばれていたものとかなり重複します。Normal breast-like型は今のところ免疫染色法では明確に分類できないですが、予後の良いタイプです。

現在ではこの分類に応じた治療法が選択されるようになってきており(表)、このうちLuminal A、BとHER2型の予後は近年のホルモン療法とトラスツズマブ(抗HER2ヒト抗体)治療によって著明に改善されました。これに対してBasal-like型はこのいずれの治療も効かず、依然として予後の悪いタイプです。 Basal-like型は乳がん全体の10-15%ですが、進行が早く、手術後も早期に再発しやすいがんで、このがんを治すことは乳がん全体の予後を向上させるために現在最も重要な課題のひとつとなっています。

幸いなことに、Basal-like乳がんにも弱点があることがわかっています。それはDNA修復不全です。Basal-like乳がんの多くにBRCA1というタンパク質の機能不全があります。BRCA1はDNA損傷を正確に修復する上でかかせないタンパク質です。BRCA1の機能不全によるDNAの変化は発がんの原因となりますが、ひとたびがんになってしまった後は、一度に多くのDNA損傷を引き起こす抗癌剤に対応することができず、がんの弱点となるのです。したがってDNA損傷を引き起こす抗癌剤が有効と考えられ、なかでもPARP阻害剤は今後Basal-like乳がんの特効薬となることが期待されています。

私たちの研究室では2001年にBRCA1がユビキチンリガーゼという酵素であることを発見し(論文リストへ)、この活性の役割について研究を行ってきました。最近の研究から、この酵素活性はいくつかの種類のDNA損傷性抗癌剤に対する感受性の鍵を握ると考えています。これらの地道な研究で、がんの包囲網を狭めていくのが夢の特効薬実現への唯一の道と考えています。