聖マリアンナ医科大学大学院 医学研究科 応用分子腫瘍学 Department of Translational Oncology 臨床と基礎研究の架け橋:乳がんを中心に、がんの臨床に還元できる研究をテーマに取り組んでいます。

一般の方、患者さまへ


研究:乳癌から女性を守る酵素

私たちは乳がんと卵巣がんの抑制遺伝子BRCA1(ブルカ1、ブラカ1、ビーアールシーエー1)の研究をしています。BRCA1は1994年に家族性乳癌と卵巣癌の原因遺伝子として単離されましたが、現在では家族性ではない一般の乳がんにもその機能の異常が深く関わっていることがわかっています。私たちは2001年にBRCA1がユビキチンリガーゼという酵素であることを発見しました。この酵素活性は乳がん発症を防ぐ上で重要な役割を果たすと考えられていますが、その詳しい作用についてはまだわからないことばかりです。この酵素活性の役割、抗癌剤の感受性との関わりについて研究を進めています。

がん抑制遺伝子とは、がんの発生を抑える働きを持つタンパク質をコードする(タンパク質のもとになる)遺伝子です。普段から正常な細胞の中でも働いていて、突然変異などでその機能がなくなるとがんが発生します。大きく分けると2つのタイプがあります。1つは細胞が増える過程で、その増殖に必要な因子を直接抑制して細胞増殖を止める、あるいは遅くするものです。もう一つは細胞のDNAの恒常性を保つのに必要な遺伝子です。この遺伝子に異常があると、細胞がDNAを複製したり細胞分裂したりする際に生じたDNAの異常、あるいは外的な要因によって生じたDNAの傷をもとどおりに修復することができないためにDNA異常が蓄積し、それによって生じた異常タンパク質によってやがて増殖を止めることのできないがん細胞が発生します。

BRCA1は、DNAの恒常性を保つのに必要ながん抑制遺伝子です。BRCA1に生殖細胞系列変異がある家系では、65-85%というとても高い確率で乳がんや卵巣がんが発症するので、欧米では変異を持っている人(キャリア)に対して、がんが発症する前に予防的に両方の乳房や卵巣をとる手術が行われています。このように1つの遺伝子の変異が原因で高率にがんが生じる場合、その遺伝子の機能は細胞のがん化を防ぐ機構上で、なくてはならない中心的な作用をしていることが容易に想像できます。したがって、家族性乳がんに限らず、一般的な乳がんの発生や生物学的な特性を理解する上でも重要となります。BRCA1はDNA損傷修復、細胞周期チェックポイントアポトーシス制御中心体複製制御など、細胞内のいろいろな機能を調整してDNAの恒常性を維持しています。そのなかでDNA損傷修復機能はDNA損傷をきたす抗がん剤の作用を考える上でも重要です。

生殖細胞系列変異
germline mutation、卵子や精子に存在する遺伝子の変異で、個体の全ての細胞に変異が受け継がれるもの。

細胞周期チェックポイント
増殖している細胞はDNA合成期であるS期、分裂期であるM期、その間のG1期とG2期でG1→S→ G2→Mという周期を繰り返すが、各細胞周期でDNAや紡錘体形成などの異常があると、それを感知して異常を修復するための時間稼ぎをする。これをチェックポイント機構と呼んでいてBRCA1はDNA複製異常やDNA損傷を検知するS期およびG2/M期チェックポイント機構で働くことが知られている。

アポトーシス制御
アポトーシスとは細胞が自ら死ぬためのシグナルを出すもので、個体における細胞の品質管理に重要である。DNA損傷修復ができない細胞はp53が活性化しアポトーシスを生じる。

中心体複製制御
中心体とは微小管形成の中心となる細胞内小器官で、細胞分裂期にはDNAを両極に引っ張る紡錘体極となる。分裂細胞に均等にDNAを分配するためには1回の細胞分裂で1度だけ中心体が複製することが必要で、この複製は厳密に制御されている。

 

DNA損傷修復とがんはとても密接に関係しています。一言で言ってしまうとがんは遺伝子の病気です。遺伝子の小さな損傷が引き金となってさらに大きな異常が蓄積し、最終的には増殖の止まらない細胞に変化するのががんです。遺伝子の損傷を正確にもとどおりに直すために細胞の中にはさまざまな修復機構がありますが、BRCA1はその中で最もなおしにくいDNA二本鎖切断をもとどおりになおす相同組換え修復という修復機構に必須のタンパク質です。したがってBRCA1に変異があると、がんが発症しやすくなります。しかし、がんになった後はこのDNA修復異常は抗がん剤のターゲットになります。つまりDNA損傷を引き起こす抗がん剤により一定量の損傷が生じたとき、正常なBRCA1機能を有する体細胞はDNAの修復ができるのに対して、乳がんや卵巣がん細胞では修復ができず、細胞は死んでしまいます。このようなBRCA1の機能異常は散発性basal-like(基底様)乳がんにも生じていると考えられていて、現在、これをターゲットとした化学療法としてプラチナ製剤とPARP阻害剤が注目されています(図)。教室ではBRCA1をはじめとした相同組換え修復に関わるタンパク質の変化でDNA損傷薬剤に対する感受性を予見できるかどうか解析を進めています。

相同組換え修復
細胞周期のS期(DNA複製、合成期)に姉妹染色分体を鋳型としておこなわれるDNAの二本鎖切断の修復で、DNAをもとどおりに修復する。BRCA2とRAD51によって行われるが、他にもBRCA1をはじめとした多くの修復遺伝子が必要である。これに対して単純に切断端をつなぐ非相同末端連結はエラーを生じる可能性が高い。

正常なBRCA1機能を有する体細胞
例えばBRCA1生殖細胞系列変異に発症する乳がんの場合、体細胞では一対の遺伝子の片方は正常でBRCA1は機能しますが、乳がん細胞では両方のBRCA1遺伝子に異常が起こっています。

散発性がん
家族性、遺伝性ではない一般的ながん。

basal-like(基底様)乳がん
エストロゲンレセプター陰性、プロゲステロンレセプター陰性、HER2陰性、基底マーカー陽性で、乳がんの10-15%をしめる発育が早く予後不良のがん。

 

BRCA1はユビキチンリガーゼという酵素です。上に述べましたようにBRCA1はたくさんの生物学的な機能を有していますが、どのようにしてこれらの機能を発揮しているかは、いまだにわかっていない点も多いです。その鍵を握る可能性があるのが、現在唯一わかっているBRCA1の生化学的活性であるユビキチンリガーゼ(E3)活性です。BRCA1はタンパク質のN末端にRINGフィンガーと呼ばれる構造をもっていて、もう一つのRINGフィンガータンパク質であるBARD1とともにRING二量体型のユビキチンリガーゼを形成します。ユビキチンリガーゼ活性を失うRINGモチーフのミスセンス変異が家族性乳がんを引き起こすことなどから、この活性が乳がんの発症抑制に重要な役割を果たしていると考えられています。上に述べたBRCA1の生物学的機能のなかでのユビキチンリガーゼ活性の役割を解明するために最も重要なことは基質(ユビキチン化される標的のタンパク質)の同定です。これまでに基質の候補としてヌクレオフォスミン(NPM1, B23)とRNAポリメラーゼのサブユニットであるRPB8を同定しました。これらのタンパク質を含め、BRCA1によるユビキチン化がDNA損傷修復でどのような役割を果たし、またその異常がDNA損傷を起因する抗がん剤にたいする感受性にどう関わっているかを解析しています。

ユビキチンリガーゼ(E3)活性
ユビキチンは76のアミノ酸よりなる小さなタンパク質で、ユビキチン活性化酵素(E1)、ユビキチン結合酵素(E2)、ユビキチンリガーゼ(E3)を介して標的タンパク質のリシン(Lys)残基に共有(イソペプチド)結合します。この中でユビキチンリガーゼは標的基質を決定する役割を果たします。ユビキチンによるタンパク質修飾は26Sプロテアソームによるタンパク質分解やDNA損傷修復を含め、細胞内の多彩な機能のシグナルとして働きます。

ミスセンス変異
1つのアミノ酸残基が他と入れ替わる変異。