病気そのものの原因や治療法を見つけることが、一度に何万人、何十万人の命を救うことに。これこそ研究を続ける醍醐味です。
40~50年前、死に至る病と思われていた「結核」の治療法が確立した。同じように、HIV感染症※1もかかったら絶対に死に至る病ではなく、ある程度治療法が開発され、死亡率の減少や患者さんのQOL(生活の質)の改善も良好となった。いまや治療可能な感染症の一つと考えられるようになったのである。
1981年、ニューヨークとロサンゼルスで初めてエイズ(AIDS=後天性免疫不全症候群)という病気が認知された。それまで健康だった同性愛男性が、通常では臓器移植を受けて免疫療法を受けている人やガン末期の患者にしか見られないカポジ肉腫※2、カリニ肺炎※3にかかった。これは、その男性が何かしら免疫不全状態にあることを意味する。原因不明の免疫不全ーそれがエイズの始まりである。'83年、2年遅れで原因であるウイルスが見つかった。HIVの発見である。その頃、山口大学の大学院生だった中島は当時を振り返り、こう語った。
「アメリカやヨーロッパで見られた病気が日本にないはずがないわけで、僕らのグループが'85年に初めて日本のHIV患者からウイルスの分離に成功したんです」
その年、厚生省(現・厚生労働省)の正式発表でも日本での第1号エイズ患者が認定される。
「'85年の暮れには、HIVに感染していた血友病※4の患者さんからウイルスを分離することにも成功しました。エイズはHIVの感染症によって起こるわけですから、“HIVの感染を阻止するようなモノを見つけられれば治療薬になるのでは?”と教授からアドバイスを受け、抗HIV物質の開発に着手しようと決意。日本では一番最初だったと思いますよ」
ウイルスの発見までに2年の歳月を要したエイズだが、それまでの医学の進歩からするとけっこう早いという。その後、血液を介して感染するということも判明。しかしながら、'85年当時は「血液によって感染する」より「性行為によって感染する」というイメージがクローズアップされていたことも見逃せない。また、空気や接触だけでも感染するという誤った情報が飛び交っていたのもこの頃である。研究室によく問い合わせの電話があった、と中島は言う。
「ビールの回し飲み、便座で感染するのか、などナンセンスな質問も多かったですね。しかし、エイズの科学的な証拠が少なかったことは否めません。実証している最中だったから、どうしても噂が先行してしまう。また血友病患者さんにもHIV感染者のいることがわかると、今度は“血友病=エイズ”というイメージが出来上がってしまいました」
感染症には特にそういった差別問題が多い。例えばハンセン病※5もそう。すべて差別につながってしまう。


中島に自身が関わったエイズ治療薬開発の成果について尋ねてみた。
「現在使われているエイズ治療薬の一つ、サニルブジン※6は山口大学時代に関わりました。'87年のことでしたね。同じ年、硫酸多糖体がHIVに効果があるというのを発見したのは僕です。学位もこれで取りました。'87年の世界的なトピックだったんですよ。ただし、臨床試験では全くダメだった(笑)。試験管の中で効果があっても、人体への副作用までは予測できませんから。現在使われている治療薬の中にも、試験管では非常に良いが、人体に投与すると脂肪代謝異常が起きる(こぶのようなものができたり、手足が細くなったりする)ものもあります。効果より副作用が強ければ“毒”にしかなりません。だから、僕たちの研究では、コレも治療薬の可能性がありますよ、と扉を開けるところまで。 治療効果となると、いっぱい患者さんを抱えた医師が評価しなくてはなりません。現在は、日本で開発した薬剤のパテント※7を海外の製薬会社に売って、さらに開発を進めてもらい、医師に評価してもらって薬として世に出るという流れでしょうね。日本で商品化できないのは、臨床のデータが少ないから。エイズに関してはデータの少なさがすべてでしょう」
他にも、中島と京都大学のグループとの共同研究に、カブトガニの血液細胞を使った新規エイズ治療薬の開発がある。「現在の僕らは少なくともリーダー的な研究をやっていると自負しています」とは中島の弁。
エイズの新しい治療薬は世界中で日々開発され続けているという状況だ。今では20くらいあるという。ただし、抗生物質がそうだったように、いくら良い 薬であったとしても、それに対してすぐ効かないウイルスが現れる可能性もある。HIVも、そうだ。薬を使いはじめたら、半年もしないうちに耐性のHIVが現れる。やがて、薬を服用していないのに最初から耐性のあるウイルスが感染してくることも。もう一つ問題なのは、交差耐性※8という事態も起こってくる。そうすると、以前有効だった薬が何世代か経ったら、有効じゃなくなるわけだ。その解決策としては全く作用機序※9が違うアプローチを行う必要が生じるのである。
それでは、HIVに感染しても、発症する人としない人がいるのはなぜだろう。
「それも僕たちの研究のひとつ。黄色人種にはいませんが、白色人種の中には最初からHIV感染の副レセプターとして働くCCR5※10を発現しない人が1%位います。遺伝的に欠損があって、売春婦のようにハイリスクな行動をしても、10年経ってもまだ感染しない人が何人もいます。またHIV感染すると10年くらいで発症すると言われていましたが、長期未発症例(LongTerm Non Progressor)も存在します。彼らも調べてみると、遺伝的欠損により、CCR5の発現が少ない人の可能性が高い。こうした人々をターゲットにすれば、発症予防ができるのではないか。さらにもっと進んで、遺伝的治療で最初からCCR5を発現させないようにすれば良いのではないか。これらも含めて研究しています」
ヒトゲノム※11の解析など薬学の分野ではDNA研究が進んでいるが、医学の場合も遺伝子治療の方に進んでいくのだろうか。この問いに中島は「僕はちょっと違う考えですね。新しい遺伝子の機能を見つけることも大切ですが、医師として微生物を研究しているわけですから、やはり現実の病気と関係する微生物学を学生には教えたいと思っています。例えばガン遺伝子を発見し、ガンを発病させる遺伝子的メカニズムが解読できたとします。それを抑えればガンの治療や予防になることが何十年後かに判明するかもしれません。でも、僕のテーマは今ある病気を抑えるものに役立つような研究をすること。それが理学部や薬学部出身の微生物学者と僕との違いだと思います。それは臨床を経験し、理由や原因のわからない病気を治すために基礎研究を続けているからでしょうか。また、一人ひとりの患者さんを懇切丁寧に診療することも医師としては良い役割だと思いますが、僕は一人ひとりを治すというより、病気そのものの原因や治療法を見つけることによって、一度に何万人、何十万人の患者さんを救うことにつながる基礎研究に興味が湧くんです。直接手を下すわけではありませんが、これこそが基礎医学を続けている楽しみですね」


幼い頃から医者の伝記を読みふけり、野口英世に憧れていた中島。医者になりたい、医者になったら研究して外国で働きたいと思っていたという。本学のOBでもある彼は、学生の頃から免疫学に非常に興味があったらしい。免疫学が隆盛の頃だったし、新しい発見が毎年あって、やがてノーベル医学生理学賞を受賞する利根川進博士が活躍していた時期でもあり、医学生にとって免疫学者は花形の存在であり、強く憧れたという。
中島に転機が訪れたのは'80年。福岡大学で皮膚科の研修医として勤務していた頃だ。「オレゴン大学での勤務経験を持つ上司が、留学先として紹介してくれたんです。先方の教授も“2~3年いるならお金は出す”と快く受け入れてくれました」
オレゴン大学では、免疫学、細菌感染によるブドウ球菌※12の研究に3年間携わった。'78年に初めてトキシックショック症候群※13が認知され、その原因となっているブドウ球菌の研究も始まったばかりの頃である。その時、中島は アメリカの医師たちとの能力の差をまざまざと見せつけられたと言う。「僕は日本だから医師になれたんだな、と思い知らされましたよ。能力の差を見せつけられました。体力も、勉強する姿勢も違うし、人間的にも優れているし、スポーツも万能だし、頭はとてつもなくいいし、さらにものすごく勉強する。彼らと競争していたら、僕は絶対医師になれなかったと思うぐらい。非常に触発されました。学問で彼らと競争できるような医師になりたい、と。将来は開業して、父親の後を継げばいいのかな、と思った時期もありました。でも、せっかくアメリカに行ったんだから、また何度でも渡航できるような人になりたい。彼らと専門分野で討論できるようになりたい、という強い気持ちがムクムクと起き上がってきたんです。この時期にアメリカ留学していなかったら、いま微生物学やウイルス学の研究をしていないかもしれませんね」
アメリカ留学から戻ってきた中島は、しばらく不遇の時代を過ごす。'84年に福岡大学で助手として勤めていた頃、そのジレンマは頂点に達していた。
「このままいても講師どまり。だから“講師にならないか”と言われたときに大学を辞めました。当時の僕は自分のものが何もなかった。自分が何をどのように研究していいのかもわからなかった。考えた末、もう一度、基礎から勉強し直してみたいと思い、山口大学大学院でウイルス学を研究しようと一大決心したのです。もちろん周りは大反対。医師として病院に勤めていたわけですから、母も診ていた患者さんも“なぜ?”って。以前から、もっときちんと勉強したいと思っていても一歩踏み込めなかった。でも、すべてを大きく吹っ切って、新しいことをはじめるチャンスは今しかないと思ったんです」
その後も中島のチャレンジは続く。'88年、大学院終了後、今度はベルギーのルーバンカトリック大学レガ研究所へ2年間留学。帰国後の'90年には東京医科歯科大学医学部微生物学助手に就任。'93年には山梨医科大学(現、山梨大学)医学部微生物学助教授、'96年には鹿児島大学歯学部口腔細菌学教授として5年間勤務し、'01年、再び聖マリアンナ医科大学に戻ってきた。
「あまり 一所に腰を暖めると、先が見えなくなるんです。環境の違うところで、また新たなチャレンジを!と思って。常に新しい刺激を追い求めることが研究する上でのモチベーションですね。滞ると腐ってきますから」と笑った。
「なぜ研究を続けているのかというと、好きだから、面白いから、でしょうね。もう一つは夢を追いかけたいから。それは学生にも言いますよ。医師 という仕事もそうだと思うけど、自分が幸せでないと、周りの人に幸せは分け与えられません。学生に教えることは、若い人に夢を与えること。自分が夢を持っていないと与えられない。僕は微生物学・ウイルス学のことしか知らないけれどいつでも夢は持っています。試験管の中で見つけたものが薬になって使われる、喜んでくれる人がいる。とにかく自分のやっていることが楽しい、そしてそれを分け与えてあげたいという気持ちが強いですね。だから、僕の研究室はおしゃべり好きばかり。自分の見つけたこと、新しく知ったことを言葉にして、周りの人に知らせるのがうれしいんでしょう。これから入学してくるみなさんの中で一人でも良いから、僕みたいな人が出てきてほしいな。とてつもない夢を持つのも楽しいですよ」
立ち止まってしまうことが怖い。いつも動いていたいし、考えていたい、という中島。基礎研究への熱い思いは、当分冷めそうにもない。
(文中敬称略)
※1 HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染することによって引き起こされる病気。感染すると、体内の免疫機能が次第に破壊され、免疫力が低下する。健康な体であれば容易に撃退してしまう病原菌を撃退できなくなり、熱が出る、急に体重が減る、疲れやすくなる、などの症状が現れる。さらに進行すると、さまざまな感染症を発症したり、神経障害を起こしたり悪性腫瘍ができたりする致死的疾患である。エイズとHIVとは異なり、エイズはHIV感染による免疫力の低下によって引き起こされた終末病像でみられるさまざまな病気の総称(症候群)である。
※2 四肢・体幹の皮膚に発生する暗赤色硬結で、進行するとリンパ節、消化器、肝臓、肺、骨にも浸潤する腫瘍である。エイズでは、口腔内、胃、小腸、または大腸の末端側に発生することが多い。通常、何の症状もみられないが、便や下痢の中に蛋白や血が混じる場合もある。腸の一部が近接する部位に陥入する(腸重積と呼ばれる状態)ことがあり、これは腸閉塞及び血液供給の遮断を招きやすく、緊急事態を引き起こす。
※3 カリニ原虫に感染して肺炎を起こす病気。エイズや抗ガン剤投与により免疫機能が弱っているときに発病しやすく、エイズの人が予防しなかった場合には約70%の人に発症すると言われている。この病気を発病するということは免疫機能が弱っているということなので、原因の特定よりも治療が優先される。
※4 血が固まるしくみには、10種類以上の凝固因子がかかわっている。これらの凝固因子はひとつでも働きが弱いと、血が固まるのにとても時間がかかったり、しっかりした固まりができなくなったりする。血友病Aは第VIII因子の不足している病気、血友病Bは第IX因子の不足している病気。血友病患者で凝固因子の働きが弱いのは、それらを作るために必要な情報を伝える遺伝子に異常があることが原因である。
※5 抗酸菌の一種であるらい菌によって起こる慢性特異性炎症性疾患であり、皮膚と末梢神経とが好んで侵される。感染前後における個体の免疫機能の差によって、臨床症状はさまざまであるが、潜伏期は3~5年、あるいはもっと長年月といわれ、正確なことはわからない。全世界のハンセン病患者はなお1,000万人以上と推定されているが、わが国では数千人で、新患発生も著しく減少しており、感染症としてのハンセン病流行は終焉期に入ったといってよい。病気に対する偏見や知識不足のために患者は強制的に収容され、長年にわたり社会的な差別を受けてきたが、平成8年4月1日に、「らい予防法」(昭和28年に制定)は廃止され、病名としての“らい”という語は使われなくなった。
※6 抗HIV薬、d4Tの一般名。商品名はゼリット。開発:ブリストル・マイヤーズ・スクイブ社。ジデオキシヌクレオシドのピリミジンの誘導体で、逆転写酵素の働きを 抑制する。つまり核酸系逆転写酵素阻害剤。
※7 特許。特許権。
※8 細胞(生体)や微生物などに対して薬物の長期投与を続けると、投与開始時と同量を与えても、初めと同一の効果がみられなくなり、当初の効果を得るために投与量を増大する必要が生じる場合を耐性形成されたという。しかもこの耐性が耐性発現以前に投与したことのない他の薬物に対しても認められることがある。これを交差耐性という。交差耐性は一般に化学構造上、類似した薬物あるいは作用機序が同一である薬物間に生じることが多い。例えば、化学構造の類似したテトラサイクリン系抗生物質相互間、ペニシリン系と セファロスポリン系などの抗生物質間などにおいて細菌は交差耐性を生じやすい。アルコールをよく飲む人が手術で麻酔が効きにくいというのも交差耐性の一例。
※9 物質に影響を及ぼす仕組み。メカニズム。
※10 細胞の増殖や活性化に作用するケモカインの受容体の一つで、HIVが感染して細胞内に入るために必要な副受容体(主な受容体はCD4と呼ばれる膜分子)としての役割をしていることが1996年に判明した。
※11 ひとりの人間をつくり、生命活動を維持させていくために必要な全情報のこと。ヒトゲノム情報は、DNAという細長い物質に整然と並ぶ4種類の化学物質の配列の中にある。4種類の化学物質が4つの文字のように働き、その並び方によって情報を保存している。
※12 食中毒の原因菌としてだけでなく、化膿性疾患や敗血症の原因菌としても知られている。自然界に広く分布しており、健康な人の皮膚や口などにもいるが、食品中でブドウ球菌が増殖すると、エンテロトキシンという毒素が作られる。この毒素を食品とともに食べることで食中毒が発生する。
※13 黄色ブドウ球菌が産生する病原性外毒素によって起こる、発熱や発疹、おう吐、低血圧などから急激に重篤なショック状態へと至る病像を指す。1980年代前半、米国で女性の生理用品使用者に多発して注目された。