災害対策活動報告

災害対策活動報告

 このたびの「東北地方太平洋沖地震」によって、被害に遭われた方に心よりお見舞い申し上げます。
 なお、聖マリアンナ医科大学では地震発生直後より、神奈川県等の要請によりDMAT(Disaster Medical Assistance Team:災害派遣医療チーム)、医療救護チームの派遣等を行っていることを申し添えます。

DMAT活動報告

東北地方太平洋沖地震におけるDMAT活動

DMAT検討部会 部会長(救急医学 助教)
児玉貴光

 阪神淡路大震災における初期医療対応に関する教訓から、わが国ではDMAT:ディーマット(Disaster Medical Assistance Team)と呼ばれる専門の災害派遣医療チームが組織されるようになりました。当院は2006年に神奈川県DMAT指定病院となり、発災直後の被災地にDMATを派遣する体制を整備してきました。 2011年3月11日午後2時46分に三陸沖で発生したマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震では、川崎市でも大きな揺れを体感するほどの大地震だけではなく、大津波も発生したことはすぐに知れ渡りました。当院DMATは自動参集基準にのっとって、発災直後より災害対策本部に入るとともに被災地への出動準備を行いました。 この未曾有の大災害に対して、DMAT検討部会のメンバーは3つのグループに分かれて対応にあたりました。

(1) 神奈川県統括DMAT

 神奈川県保健福祉局からの要請により、発災日より医師:児玉貴光(救急医学)、看護師:入佐温子(看護部)、業務調整員:塩澤裕之(管理課)の1隊が神奈川県健康危機管理グループともに神奈川県DMATの統括業務にあたりました。これは関係各機関との連携・調整を行いつつ、神奈川DMAT各隊の業務を決定する災害医療対応の「要」となるものです。今回の災害では、被災地における活動以外にも、航空機で搬送される傷病者を羽田空港で受け入れる活動、さらにそこから県内の各医療機関へ搬送する活動など多くのミッションがあり、大局に立った判断が要求されました。
 また、従来のDMATの活動は発災後48時間程度を想定していましたが、甚大な被害のために活動は12日間に及びました。そのため、当院の統括業務は、3月11日から13日、3月14日から15日(医師:児玉貴光、看護師:神保大士(看護部)、業務調整員:塩澤裕之)、3月17日から18日(医師:児玉貴光、看護師:小原秀樹(看護部)、業務調整員:塩澤裕之)の合計7日間に及びました。
 神奈川県DMATが統括DMATを活用した事案は初めてのことであり、当院はその第一号として貢献することができました。

(2) 被災地派遣DMAT

 これまでの災害でも、当院では被災地へのDMAT派遣を準備してきましたが、幸いにも出動要請が無く院内待機で終わっていました。しかし、今回の震災では航空機を用いて被災地から多くの傷病者を被災地外に搬出するミッションが実施されたため、3月14日より医師:和田崇文(救急医学)、小林慎二郎(消化器・一般外科)、看護師:小原秀樹、山口慎太郎(看護部)、業務調整員:硲[はざま]真吾(薬剤師)の1隊が参集拠点となっている仙台医療センターを経て霞目[かすみのめ]駐屯地での活動を行いました。駐屯地では全国各地から参集したDMATとともにStaging Care Unit(SCU)と呼ばれる仮設救護所を設営して、被災地外への航空機搬送が必要となる傷病者を夜通しでトリアージしつつ診療をしました。 被災地内でのDMAT活動は初めてのことでしたが、日頃から有事に備えて訓練を重ねてきたため、傷病者救護の一翼を担うことができました。

(3) 当院災害対策本部

 発災直後より、他のDMAT検討部会メンバーである本舘教子、熊木孝代、藤野智子、中村晴美(以上、看護部)、漆山幸江(薬剤部)、大橋英夫、石上智嗣(以上、救命救急センター受付)は災害対策本部の内外からDMATの活動を支援したほか、院内におけるあらゆる災害対応に関する補佐を行っており、その活動は今現在も続いています。 今回の災害では、単に現場で多数傷病者が発生しただけではなく、原子力発電所の事故に関連した健康障害の恐怖、川崎市における余震や計画停電の問題など多岐に渡る対応が必要であり、DMAT検討部会は災害医療の専門集団としての活動を行っています。まだまだ不十分な対応もあるかと思いますが、皆さんのご理解とご協力をお願い申し上げます。